私が、生きる肌 / La piel que habito

映画『私が、生きる肌』予告編映像

 

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概要

基本情報

2011年 スペイン

監督:ペドロ・アルモドバル(Pedro Almodóvar)

原作:ティエリ・ジョンケ(Thierry Jonquet)

キャスト:
アントニオ・バンデラス(Antonio Banderas)/ ロベル・レガル
エレナ・アナヤ(Elena Anaya)/ ベラ・クルス
マリサ・パレデス(Marisa Paredes)/ マリリア
ジャン・コルネット(Jan Cornet)/ ビセンテ
ロベルト・アラモ(Robert Álamo)/ セカ
ブランカ・スアレス(Blanca Suárez)/ ノルマ
スシ・サンチェス(Susi Sánchez)/ ビセンテの母親
バルバラ・レニー(Bárbara Lennie)/ クリスティーナ

解説

『トーク・トゥ・ハー』のペドロ・アルモドバル監督が、ティエリ・ジョンケの小説「蜘蛛の微笑」を原作に放つサスペンス。亡き妻の代役を創造しようとする形成外科医と、そのゆがんだ愛情のいけにえとなってしまった者の姿を、退廃と官能が入り交じる鮮烈なタッチで活写していく。『アタメ』以来となるアルモドバル監督とタッグを組むアントニオ・バンデラスが、これまでのワイルドでセクシーなイメージを封印し、狂気に支配された形成外科医を怪演。彼によって別人にされていくヒロインにふんした『この愛のために撃て』などの注目株、エレナ・アナヤの肌と肢体を惜しげもなく披露した熱演も見ものだ。

あらすじ

最愛の妻を亡くして以来、完ぺきな肌の開発研究に打ち込む天才形成外科医のロベル(アントニオ・バンデラス)。あらゆるモラルを打ち捨ててしまった彼は、ある人物を監禁して禁断の実験に取り掛かることに。それは開発中の人工皮膚を全身にくまなく移植して、被験者を亡き妻へと作り変えてしまうことだった。着々と妻の代役を創造させていくロベルだったが、思いも寄らぬ事態が起こってしまう。

批評と受賞歴

27 wins and 67 nominations

批評

  • Rotten Tomatoes:80 %  7.4 / 10
  • Roger Ebert:3 / 4
  • Metascore:70
  • IMDb:7.6 / 10

 

なんとまぁ異常なことか

何が正常で何が異常かについてはあまり言いたくはないけど、おそらく超平均的な考え方を持つ僕の感覚からしたら、

これは相当やばいやつ。

“狂気” という言葉が当てはまるそんな映画。

※上記であらすじとか出しておいてなんですが、本作を全力で楽しむには、何も知らない方が良いかと思います。なので、この時点で未見で少しでも気になる方がいたら余計な知識を入れずに今すぐ観てください。

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そんなこと言われても少しくらいは概要なりざっくりのテイストを知りたいという方は、ネタバレしない程度にもう少しだけ書きます。

 

僕自身はアルモドバル監督作は、この次の作品「アイム・ソー・エキサイテッド!」しか観たことがなくて、本作については、「皮膚を何かしている外科医」くらいの知識しかなく、なんとなく選んで見始めた。今になって思うけど、

テイスト違いすぎだろ。

よくまぁすんなりと、

 

これから

これに移行できるな、と。

でも捉え方を変えると、こんなに違う作品を撮れるなら他の作品がどんな感じに仕上がっているのがとてつもなく楽しみである。

 

で、本作の話。正直、見始めはあんまり集中できなくて、「ん?ん?なんだなんだ、なんだかよく分からないぞ。」状態だったけど、僕の状況把握能力と先読み能力の無さが功を奏して、そんな状態から一変、

すんごい驚愕の真実。

真相が発覚してからは「え、えーー、えーーー」のびっくり状態が一通り過ぎた後は、

もはや唖然。完全にポカン顔。

そしてなんか胸がざわざわ。「なにこの感覚。気持ち悪いんだけど。」と思いつつも、でも見ちゃう。そんな映画。

うん。抽象的すぎでよく分からないね。

 

アルモドバル監督の言葉を借りると、

“a horror story without screams or frights”

と監督は表現している。直訳すれば「叫びや恐怖のないホラー」。フライトの “恐怖” の感覚がいまいち掴めていないけど、今のところザ・ホラー映画みたいな感覚でいる。それがないホラーってどんなんだよ、ってこの言葉だけ見ると思っちゃうけど、見た目でビビらせるホラーではなくて、もっとこう、、んーと、、表現が難しい。

なかなか上手く言い表せないのは僕だけじゃない。ある批評家はこう言った。

「アルモドバル監督は、未開拓のホラージャンルに到達した。」

ね。だから上手く表現できないのは僕のせいじゃない。

しかも本作は、全体的にはホラー、サスペンス、ミステリーの作りだけど、メロドラマの要素もありつつ、(文字通りの)実験映画でもありつつ、性アイデンティティについても取り上げつつ、と色々と混ぜ込んでいる。全体の感じを崩さずに作り上げられるのは監督の才能なんだろう。

 

僕があえて一言で言うなら

気味の悪いサスペンス

かなぁ、と思う。現実離れしているようで、ないとは言い切れない感じ。でもやっぱり夢っぽくもあり、映画の終わりでは悪夢から覚めたようで、まだ夢の中のような、、

そんな ゾッとする 新タイプのホラー映画。

さて、そろそろネタバレ含めた小ネタゾーンに参ります。

 

監督が重きを置いたもの

本作には原作がある。1984年に出版されたティエリ・ジョンケの「蜘蛛の微笑(Mygale)」というフランスの小説。

あらすじはこんな感じ

外科医のリシャールは、愛人を眺める。他の男に鞭うたれ、激しく犯される姿を。日々リシャールは変態的な行為を愛人に強要し…無骨な銀行強盗は、警官を殺害してしまった。たりない脳味噌を稼働させる中、テレビ番組を観て完全なる逃亡手段を思いつくが…微笑みながら“蜘蛛”は、“獲物”を暗闇に閉じ込めた。自らの排泄物、飢え、恐怖にまみれた“獲物”を“蜘蛛”は切り刻んでゆく…三つの謎が絡む淫靡なミステリ。

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僕は原作は読んでいない。ラスト含めて、映画の内容と原作の内容は結構違うらしいけど、原作も原作で面白いと言う評価が多い。一気に引き込まれて、ページ数も少ないから一気に読めると。

あらすじ読んだだけでどんな構成になっているのか全然知らないけど、映画で言うベラ=ビセンテというのが、どんな文章で隠されているのかが気になる(隠す構成ではないかもしれないけど)。上手いこと隠してどこかのタイミングで真実暴露形式だったら、イニシエーションラブに近いものもあるのかなぁ、とふと思う。

アルモドバル監督と監督の弟アグスティン・アルモドバルは、本作の脚本書くのに10年近くかかっているらしい。アルモドバル監督は、原作のレガルの報復の規模の大きさに惹かれたらしく、それをベースに書いていたから当初はもっと原作に近い終わり方をしていたけど、10年の間にどんどん離れていったと。

結果、描き出された粘着系の復讐感 。ぞっとするよね。長い年月をかけて蜘蛛のようにじわじわと命を削っていく。怖い。

でもね。

 

 

いや、こんな格好でそんな真面目な顔されましても。

っていう、ものすごいエグい内容の中になんかこうバカさというか拍子抜けというか、そんなんがたまに入ってくるもんだから。冷静になって見るとコメディなんじゃないかとも思えてくると。

※原作ではこんなトラ設定はない模様です。

 

原作紹介ついでに、もう一つ。インスパイアされている作品がある。ジョルジュ・フランジュ(Georges Franju)の「顔のない眼(Eyes Without a Face)」というこちらもフランスの映画。

あらすじは下記

交通事故で顔面に大ケガを負った愛娘のために、若い女性をさらって来ては植皮手術を行う医者を描いた恐怖映画。製作年度の割に克明な手術シーンなど、直接的なグロテスク描写もさることながら、白塗りの仮面をつけた娘が館を歩くシーンなど、白黒画面による不気味な雰囲気造りが印象的。「狂ったメス」や「ショック療法」など外科手術とホラーを融合させたジャンルの始祖的作品。

ね。見てないからこれ以上は言えることがないんだけど。気になる方は見てみてください。

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ちなみに本作で同一キャラを演じた、ジャンコルネットとエレナアナヤ。同一人物設定だから、2人はなるべく一緒に過ごすようにしたらしい。お互いの動作も真似るようになって、それが自然にできるようになった。だから撮影の際は、監督に超褒められているらしい。(僕のものすごい意訳によると)

 

さりげなく暗示させる

いくつか、小物を使ってそのキャラクターの特徴とか性格とか考え方を表しているようなシーンがある。

盆栽シーン

レガルが盆栽をやっているシーンがある。僕は「あ、盆栽じゃん」くらいにしか思ってなかったけど、実はレガルを反映している。

そもそも盆栽は、木が自然に成長するのを無理やり操作して、剪定して、形を整え、見た目を楽しむアート。その盆栽をレガルがやっている、というのがベラに対しての所業を映している。

利己的遺伝子

ベッドルームに入る時、1つの本が開かれているのが見える。リチャード・ドーキンス(Richard Dawkins)の本、「利己的遺伝子(The Selfish Gene)」。

利己的遺伝子論は以下のような感じ(Wikipediaから引用)

利己的遺伝子論(りこてきいでんしろん)とは、進化学における比喩表現および理論の一つで、自然選択や生物進化を遺伝子中心の視点で理解すること 。ここでは「利己的」とは「自己の成功率(生存と繁殖率)を他者よりも高めること」と定義される。

詳細はwikipedia見てもらえば大枠はわかるかと。これも、レガルの心のあり方というか、立場というか、考え方が反映されてるのだと思われる。

エンジェル・アット・マイ・テーブル

ベラの部屋に”An Angel at My Table”という本が置いてある。これは、ジャネット・フレイム(Janet Frame)というニュージーランド出身の女流作家が書いた自伝3部作のうちの2作目。1990年にはジェーン・カンピオン(Jane Campion)が監督して映画化もされて、なかなか評価も高い模様。

映画版の解説・あらすじ

本作のあと「ピアノ・レッスン」を撮ったJ・カンピオンが、母国ニュージーランドを代表する女流作家ジャネット・フレイムの自伝3部作を映画化した長編第2作。鳥の巣のような赤毛の貧しい女の子はやがて文学に目覚めていく。しかし、彼女のあまりにもシャイで繊細な感性は周りの人々には理解されず、誤解から精神病院に送られてしまう。そこでは患者に対して、無知で非人間的な治療が行われていた。だが、長い入院生活の間も彼女は書くことを続ける……。

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あらすじにもあるように、精神病院に送られて閉じ込められた後の、何百回にもわたるショック療法うんぬんの部分が、ベラの境遇と共通するところがあるんだろう。見てないから分からないけど。

 

ガルの由来

レガルの亡き妻、ガル(Gal)は”Galatea”から取られているとのこと。Galateaはギリシャ神話(ローマ神話?)に登場する女性、ガラテイア。

wikipediaで以下のように書かれている。

以下の者が知られている。

  1. 海のニュンペー。
  2. ピュグマリオーンの妻。彫像から人間に変身した。
  3. エウリュティオスの娘。神の力を借りて娘を男性に性転換させた。

2と3はこれだけでも、「あ、ぽいな」って思うと思う。1の海のニュンペーは、

ガラテイアはシチリア島で川のニュンペーの息子である青年アーキスと恋に落ちた。しかし、かねてよりガラテイアを恋慕していたキュクロープスのポリュペーモスがこれに嫉妬し、巨石を投げつけたポリュペーモスによってアーキスは殺される。死んだアーキスの血はエトナ山のそばを流れる川となった。

てな感じだから、全体的に使われている感がある。

 

ということで

狂気の映画、私が、生きる肌。

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監督の次の作品、アイム・ソー・エキサイテッドは全然テイストが違う。

アイム・ソー・エキサイテッド! / Los amantes pasajeros
概要 基本情報 2013年 スペイン 監督:ペドロ・アルモドバル(Pedro Almodovar) キャスト: ハビエル・カマラ(Javier Camara)/ ホセラ(チーフCA) アントニオ・デ・ラ・トーレ(...

なんかもおすすめです。

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