普段からファーストコンタクトものというのは大して興味がなかったものの、町山さんが紹介している話を聞いて、なんだかすごく面白そうだぞと、いとも簡単に興味がわいて鑑賞。
そしていとも簡単に
心を持ってかれた。
これは素晴らしい作品を観た。ただのファーストコンタクトものだろなんて思っているのなら、もしくはそんなファーストコンタクトものなんて興味がないわなんて思っているのなら、もしくはファーストコンタクトものなら遊星云々、まぁもうなんでも良いから、
観ろ
これだ。
そして観た後は、本作から問いかけられるもの、または諭されるものに対して、自分だったらどうするかを考えさせられる。
それも良いし、映画的なトリックにも存分にやられたし、もう、
大満足。
細かいところも気にかけて観ているとなお良し。
がっつりネタバレしつつ参ります。
概要
基本情報
2016年 アメリカ
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ(Denis Villeneuve)
脚本:エリック・ハイセラー(Eric Heisserer)
原作:
テッド・チャン(Ted Chiang)
「あなたの人生の物語(Story of Your Life)」
キャスト:
エイミー・アダムス(Amy Adams)/ ルイーズ・バンクス
ジェレミー・レナー(Jeremy Renner)/ イアン・ドネリー
フォレスト・ウィテカー(Forest Whitaker,)/ ウェバー大佐
マイケル・スタールバーグ(Michael Stuhlbarg)/ ハルペーン捜査官
マーク・オブライエン(Mark O’Brien)/ マークス大尉
ツィ・マー(Tzi Ma、馬志)/ シャン上将
解説
テッド・チャンの短編小説「あなたの人生の物語」を基にしたSFドラマ。球体型宇宙船で地球に飛来した知的生命体との対話に挑む、女性言語学者の姿を見つめる。メガホンを取るのは、『ボーダーライン』などのドゥニ・ヴィルヌーヴ。『ザ・マスター』などのエイミー・アダムス、『アベンジャーズ』シリーズなどのジェレミー・レナー、『ラストキング・オブ・スコットランド』などのフォレスト・ウィテカーらが結集する。
あらすじ
巨大な球体型宇宙船が、突如地球に降り立つ。世界中が不安と混乱に包まれる中、言語学者のルイーズ(エイミー・アダムス)は宇宙船に乗ってきた者たちの言語を解読するよう軍から依頼される。彼らが使う文字を懸命に読み解いていくと、彼女は時間をさかのぼるような不思議な感覚に陥る。やがて言語をめぐるさまざまな謎が解け、彼らが地球を訪れた思いも寄らない理由と、人類に向けられたメッセージが判明し……。
製作陣と原作
まずは基本的なところから。
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
ドゥニ・ヴィルヌーヴの監督作品は、話題になった「ブレードランナー2049」は観ていないけど、「灼熱の魂」だけは観ている。
灼熱の魂は僕は好きだった。ちょっと重めではあるものの、少しずつ真実が明らかになっていって最後にはきっちり家族やら愛やらを描き切る。そして「連鎖」という観点では、本作でのループ構造とも似て。。と無理やりゴリ押すのは厳しいか。
監督は、もともとSFものを撮りたかった模様。タイトルについては、試写会の反応で変えたという説がある一方、原作タイトルの “Story of Your Life” が、ロマンスコメディっぽく聞こえるから、今のタイトルに変更したという説がある。
脚本:エリック・ハイセラー
2010年に「エルム街の悪魔」のリメイクに携わっていたり、「遊星からの物体X」の前日譚である「遊星からの物体X ファーストコンタクト」の脚本もやっている。が、僕は見ていない。
どうやら「君の名は。」の実写版の脚本も手がける模様。が、僕は見ていない。
ハイセラー曰く、最初に考えていたエンディングは違うものだったらしい。エイリアンから授かるものは “言語” ではなく、宇宙船の設計図をもらって、それで3000年後の人類を救うと。でも、2014年に同じような内容でインターステラーが公開されちゃったから辞めることにしたという話。
音楽:ヨハン・ヨハンソン
音楽の担当は、ヨハン・ヨハンソン(Jóhann Jóhannsson)。例えばこれ。
Heptapod B
重要なオープニングとエンディングの曲は、マックス・リヒター(Max Richter)の “On the Nature of Daylight”。
この曲、衝撃なのが、逆回しバージョン。
ここまで徹底して回文的なものを入れているというのはもう、
ゾワゾワするわ。
このヨハンヨハンソンと、マックスリヒターは、ポストクラシカルの二大巨頭と称されている。
ヨハンヨハンソンは、ゴールデングローブ賞では作曲賞にノミネートさたものの、劇中では主要なところでマックスリヒターの曲を使っている、ということでアカデミー賞では作曲賞の資格はない、って判断されてしまったみたい。
アカデミー関連で言うと、ゴールデングローブ賞では主演女優賞にノミネートされたエイミーアダムスも、アカデミー賞にはノミネートされなかった。
撮影監督:ブラッドフォード・ヤング
撮影監督はブラッドフォード・ヤング(Bradford Young)。本作でアカデミーノミネートされて、この前の「ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー」もこの人。
ヴィルヌーヴ監督とブラッドフォードヤングは本作のルックについて、 “Dirty Sci-fi” と言っている。子供の頃、雨の日のスクールバスに乗りながら外を見ている、良くない日の感じ、的な。んー、分かるような分からないような。
科学考証・SF考証:スティーブン・ウルフラム
映画内で使われる科学的なものの辻褄合わせとなる科学考証、または特にSF作品ではSF考証。その辻褄合わせとして、スティーブン・ウルフラム(Stephen Wolfram)という人が参加している。
この人は、カリフォルニア工科大学で理論物理学の研究でPh.Dを取得していて、マセマティカ(Mathematica)という数式処理システムを開発したり、大学の教授をやっていたりする。
劇中で、ホワイトボードに何やらよく分からない数式がびっしりと埋め尽くされていたり、コンピュータでエイリアンの言語を解析したりしていたけど、それはこの人が、もし本当にこういう状況になったら、今の科学者たちはこういうアプローチをするだろう、というような予想の数式があそこには書かれている。
見たところでさっぱり分からないけど。
原作:テッド・チャン「あなたの人生の物語」
原作は、テッド・チャンの短編小説「あなたの人生の物語」。
本作は時間の認識がキーになるけど、時間の表現を文章で表現しようとすると、時制を入れないといけない。その辺が映像で作るのと異なる。
映像であれば、映し出す人物や場所が、どの時制にいるのかは意図的にやらないといけない。そこが難しいところでもあるし、いかようにでも観客を騙せる作りが出来る。
原作ではどうしているかというと、
物語の冒頭と結末は現在時制で記述されており、娘の妊娠時に書かれたものであることが示されている。ヘプタポッドとの対話の節は過去形で書かれている。娘の誕生から死とそれ以降までを記述した節は未来時制で書かれている。
とのこと。結末が映画と同様にループ構造になって冒頭に繋がってくるのかは分からないけど、共通して言えるのは
娘の物語
ということ。もちろん作品の中で1番登場して1番活躍するのはルイーズで間違いないけど、娘の誕生というところを起点として時制が扱われていると。
なんとなく、文章で騙すとなるとイニシエーションラブを思い出したけど、あれ結局どうやって映画化したんだろう。と思いつつ今のところ観る予定はない。
ちなみに、原作者のテッドチャンは本を書きながら、アインシュタインの言葉、
“The distinction between the past, present and future is only a stubbornly persistent illusion.”
(過去、現在、未来の区別は、頑固な幻想に過ぎない)みたいなこと。
これを心に留めておいたらしい。
宇宙船とエイリアン
もう少し内容の方に踏み込んで、今度はエイリアンについて。
宇宙船
日本ではポスター公開後、宇宙船が「ばかうけ」に似ていると話題となりコラ画像が出回る始末。そんな状況を知った監督は、
完全に乗っかった。
こんなネタコメントをくれるというサービス。ありがとう。
そんなノリの良い監督だけど、この宇宙船のデザインは気に入っていて、”like a strange egg” な形は、宇宙船の脅威とか謎を完璧に表現出来ていると考えていたらしい。でも、そういう感覚で宇宙船の形を先に決めちゃったもんだから、宇宙船の中身をどうデザインしようかって監督は悩んだんだって。
待機ゾーンから重力の向きが変わるところなんか良かったよね。物理学者のイアンがその人智を超えた状態を全然信じられなくて、つまずくというね。
エイリアンの見た目
最初のルイーズたちとエイリアンとの初対面シーン。一瞬で終わったから、あんまりエイリアンははっきり映さない方向性なのかと思っていたけど、そんなことはなかった。
うっすらと見える、タコみたいな見た目。この感じから “ヘプタポッド” と名付けられた。ギリシャ語でヘプタが「7」、ポッドが「足」。7本足で、墨みたいなのを出す指?みたいなやつも7本。ちなみにテトラポッドのテトラは「4」。が語源。
原作ではエイリアンの表現として、「放射相称の肉体を持つ」と書かれているらしい。放射相称の動物と言うのは、ウニとかヒトデとか、
中心軸に対して多数の対称面があり、全体として星形になる生物
のこと。
要はこういうことだよね。
めちゃめちゃ荒く言うと、前とか後ろとかがない。ここが、時間の「前後」という概念がないことに繋がってくると。決して、
宇宙人と言えばやっぱタコだろ
なんて安易な考えではない、と思いたい。墨みたいなやつは出すけど。
町山さん情報によると、過去現在未来のない(人生のすべての瞬間を見られる)宇宙人は本作が初めてではなく、有名な作品だと、1969年のカート・ヴォネガット(Kurt Vonnegut)の小説、「スローターハウス5 (Slaughterhouse-Five, or The Children’s Crusade: A Duty-Dance With Death)」でも登場したと。
この人はダグラス・アダムスとか村上春樹に影響を与えたと言われている。
本作はジョージ・ロイ・ヒルが監督で映画化もされている。ジョージ・ロイ・ヒルは「スティング」とか「明日に向かって撃て」とか撮った人。
エイリアンの名前
ルイーズたちは、渡来したエイリアン2体に対して名前を付けた。アボットとコステロ。
この名前の由来は、アメリカのお笑いコンビから来ている。彼らの出演する結構な数の映画が作られ、テレビでもシットコムをやり、最終的にはアニメにもなると。どれもなかなか評価が良い。
彼らのネタの中で、”Who’s on first” というのが有名。漫才だね。
超ざっくり言うと、1塁にいる人が”Who”という名前、2塁にいる人が”What”という名前、3塁にいる人が”I don’t know”という名前。という前提で、
コステロ「1塁は誰?(Who’s on first?)」
アボット「そう。(Yes)」
コステロ「いや、誰?(Who’s on first?)」
アボット「1塁は誰(Who’s on first)」
コステロ「何でお前が聞くんだよ」
みたいなやりとりを延々とやっていると。面白いね。
本作のアボットとコステロの漫才は残念ながら見られなかったけど、話す方の言葉と、聞く方の言葉の受け取り方によって、お互いが誤認識をしてしまってコミュニケーションが不能になる、という点で共通している。
たった一言、「武器」のイメージとかニュアンスの取り方によって、些細なことが、ものすごく大きな問題になる。
ちなみに原作でのエイリアンの名前はFlapper and Raspberryらしい。
エイリアンの言語
特徴的で複雑なエイリアンの書く文字。
文字自体は、モントリオールのデザイナー、Martine Bertrandという人がデザインしたもの。そして、この人の息子が、ルイーズの娘ハンナの描く絵を書いているという話。
監督は先に、このデザインをエイリアンの文字に使おう、って決めたから、辻褄合わせのために先ほど紹介したスティーブン・ウルフラムが文字の解析をするとしたらこういうアプローチだな、みたいな科学考証をしていると。
このエイリアンの文字を「表義文字」とルイーズたちは定義した。漢字のような、文字自体が意味を表す表意文字(もう少し細かく言えば表語文字)、アルファベットとか平仮名のような発音だけ表す表音文字、これに当てはめられるような簡単な構造ではないから。
僕がアラビア語で書かれた文字を読んでも、発音も意味も区切りも全く理解不能なように、エイリアンの文字も少しずつディテールの違う絵にしか見えない。
岡田斗司夫が言っていたけど、彼らの体が7本足でさらに先で7本に枝分かれしているように、文字の周りのハネている部分、それもそれぞれ7方向のベクトルに向かっている、らしい。
ルイーズたちはその微妙な違いを解析して何とか単語単位でやり取りをしていたわけだけど、驚くべきは、平面に描かれていたと思っていた文字がさらに奥行きまであったということ。
この辺は、4次元(4つ目の次元を時間として)に生きるエイリアンだから、地球人が文字を平面の2次元に書くように、彼らは3次元で文字を表現するというね。
一次元コードが二次元コードになると持てる情報量がものすごく上がるように、たった一文字(のように見える)だけで色んな表現ができるようになると。
この文字(言語)の考え方として、サピアウォーフ仮説というものが根底にある。
サピア=ウォーフ仮説
ルイーズは言語によってエイリアンとの対話を試みたわけだけど、劇中でちらっと説明されたサピア=ウォーフ仮説というものがある。
その人が話す言語は、その人の考え方に影響を及ぼす。
というもの。と書かれているけど、色々とネットを漁ってみていると、思考が変わるというよりも認識の違いに影響を与える、みたいな感覚。
「色」の識別とか「雪」の種類とか、物や事象を区別するための言葉があるから、それを認識できるようになる。
そういうことを書いている人もいれば、町山さんなんかは、もう少し「思考」寄りに説明していて、例えば英語であれば先に結論を言う必要があるけど、日本語の場合は述語が最後にくるから、話し始めた時点では結論を決めていなくても良いし、途中でも結論を変えても良い、最悪、言わなくても良い、つまり曖昧な状態にできると。
総じて僕は、「言語によって制限されるんだ」と、適当に理解した。
とまぁ、結構微妙なニュアンスのサピアウォーフ仮説なんだけど、「話す言語によって認識の仕方が変わってくる」と捉えると本作を観る上では良いかもしれない。表現したいことを知っていないと伝えられないし、伝えたいことを言語として体系化されていないと伝えられない、ということ。
本作で言えば、エイリアンにとっての「時間」の認識。僕ら地球人は、断片的にしか時間を認識しないけど、エイリアンは俯瞰した状態、一つ上の次元で認識していると。だから過去とか未来とではなくて、僕らが平面を見て右側、左側、上、下、とかそういう感覚で時間を捉えている。
これを伝えられる言語を彼らは持っている。だけど地球人はそもそも時間の考え方が違っていて「時は流れる」という考え方での言語。だから容易に理解ができないし、もしこれをルイーズのように理解できたのであれば、エイリアンと同じ感覚で「時間の認識」ができるようになるということ。
ややこしいけど、こういうのって、面白いよね。
フェルマーの原理
映画の方では、上記のサピアウォーフ仮説がメインで根底にあるけど、小説の方は「フェルマーの最小時間の原理」を根底に物語が作られているらしい。
フェルマーの最終定理で有名なフェルマーの「フェルマーの原理」。なかなか不思議な特性を持っていて、登場した時にはイデオロギー論争まで巻き起こしたらしい。
概要としては、
光は光学的距離が最短になる経路、すなわち進むのにかかる時間の停留点になる経路を通る
という原理。重要なのは「最短距離」ではなくて「最短時間」という点。
例えば光が水中に入ると屈折するけど、ゴールにたどり着くまでの距離ではなくて、時間が最短になる経路を進む。
これだけ見てしまうと、あたかも光が目的地を知っていて、道を選んで進んでいるように感じてしまう。そう考えると、光は何者なんだと。
実際は進む時の条件でうんたらかんたららしく僕にはよく分からない。
ただ、これがさらに量子力学的な視点から見ると、光は全ての可能性を試しながら進んでいる、という見方ができるようになる。
岡田斗司夫が、最後に宇宙船が消える時に「ぼわーんと消えていく」と表現したのは、これが量子力学的な確率論で宇宙船は渡来していた、とするから。
そこに存在する確率もあれば、存在しない確率もある、と。
何を言いたいかというと、「目的地を知っている」「最終地点を知っている」という前提があるからこそ、本作のエイリアンはそれを言語の中に組み込んでいる、ということ。
コミュニケーションのための武器
共通の言語
言語を通して共通の認識を持つ、というのは何もエイリアンとの対峙する場面だけじゃない。
人間同士の言語学者のルイーズと理論物理学のイアンとでも、若干の言葉の違いがある。娘との思い出シーンの中で、「あの単語なんだっけ?」と娘から聞かれて、ルイーズはいくつか候補をあげるけど、そのニュアンスの違いに納得できない様子が描かれていた。
「もっと数学的な単語」と言われたもんだから「パパに聞いて」と一度は突き放すも、最終的には非ゼロ和ゲームのことだと思い出すルイーズ。
あのシーンの時点では、ルイーズはヘプタポッド語を理解し始めていて、実際に娘との(未来の)思い出シーンが蘇っていたはず。現在でイアンが言った「non zero sum game」がトリガーになって。そこから、はわわわってなって、うすうす感づきながらもエイリアンのところへ駆けていくと。
僕はそれよりも、あの、コミュニケーションがうまく取れていない感じが良いなぁと思っていた。こういう単語だけにとどまらず、知識とか体験とか、知っていることの共通点がある方がやっぱりお互いの理解度は上がるし印象も変わる。
理解するための武器
もう一つ、コミュニケーション関係でルイーズとイアンが出会うシーン。イアンはルイーズの書いた本を読んでいて、その導入文を読み上げる。
「言語は文明の基盤。人々を結び、対立時には最初の武器となる」
このシーンを見て、3秒くらい頭の中に色んな思考が溢れてきて、「あー、確かになー」と、なんだか妙に印象に残っていた。(僕は今回Netflixで本作を見たけど、わざわざ一時停止してまでこの言葉をメモしている。)
ということもあって、劇中の転換点となったエイリアンの例の言葉
「武器を授ける」
これを聞いた時、「この流れは言語のことだな」とすんなり入ってきた。俺は分かってたぜいぇーとかそういうのが言いたいのではない。
確かに言語はお互いを理解するために必要なもの。一方で、言語によって、理解するどころか齟齬が生じたり、誤解が生まれたり、両者間で思い違いも起きる。
まさに本作では「武器を授ける」という言葉によって、受け手側は色んな受け取り方をして、各国の対応が変わりバラバラになっていった。
「武器」という日本語の単語一つとっても、攻撃する意味での武器の意味もあるし、「スキル」とか「ツール」とか「メソッド」とかいろんな意味で捉えることができる。
解読しきれていない言語だからこういう誤解が出たのかと言えば、そうでもない。もちろんそれもあると思うけど。
ルイーズが最初にウェバー大佐から誘われた時に、「音声を聞くだけでは分からない」的なことを言ってたけど、人間同士だったとしても、相手に対するイメージや先入観がまずあって、その人が話す雰囲気やトーンや熱さがあって、話すときの表情や態度や振る舞いがあって、話している言葉そのままの意味で捉えようとせずに、全部ひっくるめて、相手の言いたいことを読み取ろうとする。
一生懸命話したとしても、結局は相手がどう思うか、受け手側がどう受け取るか次第。これは正直主観的なものだから相手が100%わかっているのか、反対に相手の言っている真意を100%理解できているのかの正解は分からない。
僕自身は、コミュニケーションがあまり得意ではない方なので、かなりこの辺の問題は今まで生きてきて意識をしてきている。自分が言いたいことがちゃんと伝わっているかなーとか、そもそも自分の中の複雑な感情を言葉で表しきれないよなー、って常々思ってきた。単純に自分の語彙力がないことあるのだけど。
でも、コミュニケーションを取ることで招くかもしれない認識違い、そこから起こる決裂やなんかにビビって相手を知ろうとしなければ、一向に分かることはない。その辺も映画全体のテーマと繋がってくる気がして面白い。
理解しようとする姿勢
ルイーズが途中でカンガルーの語源の都市伝説を引き合いに出していた。
ちなみに本当にそういう俗説はあって、「カンガルー」という語が初めて記録された文章を書いた人物は、ジョセフ・バンクスという人らしい。バンクスという名前を使ったのは偶然なのかあえてなのか。まぁどっちでもいいんだけど。
で、劇中でバンクスが、そのカンガルーの話を出して、「理解し合わないと、対話は進まない」と。うん。理解し合えるのがベスト。理解するのが難しかったとしても、相手を理解しようと努力するのが大事だと個人的には思う。
時間の認識
並列で存在する「時間」
上記でも散々触れてきたけど、本作のキーは「時間の認識」。
僕は完全に騙されたけど、あの冒頭の走馬灯的な、回想シーン的な思い出。今までの、時間は一直線に進む、流れる、という認識でいると、
もうアウト
時間の方向性とか、過去の何かのアクションが未来の結果を作るという因果関係を前提に考えていると理解できなくなる。
あえて「思い出」という表現にしているけど、「経験したことしか思い出として蘇らない」と思っていたり、ルイーズが娘を出産して、娘と歩んできた人生を意図的に時系列で見せられたら、彼女の過去の経験したことなんだなと、錯覚してしまう。
最初のシーンに騙されたということは、「思い出」とか「時間」の概念を今の次元から飛び出せてはいないということ。直線的に捉えていた時間の認識。これをひっくり返さないといけない。
僕は本作を観終わって、この時間の認識について考えていたら、苫米地さんのことを思い出した。
「1日10分」でスピード脳に生まれ変わる―「知的生産力」が無限大になるいちばん簡単な方法
この本の中で、時間は一方通行で進むのではなくて、「同時に存在している」みたいな話をしている。過去が変われば未来が変わる、未来が変われば過去が変わると。自己啓発本だから、結局は「未来の自分を想像して、そのために今何をしなければならないか」というところに繋がってくる。
それに対して、本作の方は、未来は決定している決定論的な世界。だからこそ、見えている世界を変えるために行動するんじゃなくて、それをどう受け入れるか。
良くないことが起こるのは分かってはいるけど、だからといって何もしない、という選択をするのか。と、ね。
何かの思い出が蘇る時、時系列で思い出すわけではないよね。とある1シーンが切り取られてふっと目の前に広がる。
これが、時間が流れるものではなく、同時に存在しているものとして認識すると、本作の中でルイーズが見ていた映像というのは、過去のことを思い出すのではなくて、断片的に未来のことも見ていたということになってくる。
町山さんの話によると、原作者のテッドチャンは、ポールリンクという人の一人芝居を見てコンセプトを思いついたとのこと。
ポールリンクの奥さんが癌になってしまって、それを知ってから彼らは子供を作ることを決めた。周りには何でそんなことするんだ、悲しみが増えるだけじゃないかと言われたらしい。
死ぬということがわかっていて、その運命に対してどう行動するのか。いずれ死ぬかもしれないけど、それを心配して何もしないより誰かを愛して傷ついた方がマシだと。
映画の最後の方で撤退するシーン、ルイーズがイアンに問いかける。
「先の人生が見えたら、選択を変える?」
「自分の気持ちをもっと相手に伝えるかも。」
何がわかっていても、どの瞬間も大事にする。
ふむ。
時間の概念のない部族
もう一つ、これも岡田斗司夫が言っていたネタだけど、アマゾンの奥地には、アモンダワ族という部族がいる。
ウルエウワウワウ(Uru-Eu-Wau-Wau)という先住民族の1グループらしいんだけど、完全にリックアンドモーティのワバラバダブダブを思い出した。どうでも良いけど。
アモンダワ族の文化には「時間の概念」が存在しない。言語の中に「時間」「年」「月」「週」と言った言葉がなく、時間を感じる「過ぎ去る」「後で」といった言葉もない。かろうじてあるのは、「昼」「夜」「雨季」「乾季」くらいの言葉。
概念がないから、それを表示する時計とかカレンダーも持っていない。
「年」の概念がないということは、「年齢」の概念もない。年齢という指標ではなく、子供ができたとか、自分の中で考えが変わったとか、そういう自分で節目だと思った時に自分の名前を変えたりするらしい。
なんか、、良いなそういうの。
時間の概念がないとなると、完全に「現在」というものに全神経を集中させることになる。つまり、「今を生きる」ということ。
と言っても、それが自由で幸せだとは限らないと思うけど。
たしかに、自分の死ぬ瞬間の未来まで見えていたり、逆に来週、来年とかの未来の概念がないとしても、先を気にしすぎて何もしない、どうせ死ぬんだから何もしない、というのはあまりにもつまらない。
円環構造
本作の冒頭に描かれていたシーンは、映画の最後から繋がっていた。単純に戻ってきたというよりは、特定の場面を切り出していた、という方が近いか。
それを考慮すると、映画冒頭の時点でルイーズはヘプタポッド語を理解しているどころか知らない。にもかかわらず、回想シーン的に映像を見せられるのは、なんとなく、若干、反則気味な気もしなくもない。
が、ルイーズがこの物語を語っている”時点”は、小説では娘の出産時になっているけど、本作ではエイリアンとの対峙後、イアンとこれからイチャイチャしていくんだろう的なところ、だと個人的には思っている。だからまぁ、冒頭に未来の回想の切り出しがあっても問題ない。
ループをさらに強調するために、ルイーズは、娘の名前”hannah”の由来についてご丁寧に説明してくれている。
後ろから読んでもhannahだよ、と。ちなみにイアンを演じたジェレミーレナーのレナーも、”Renner” と回文になっているね。どうでも良いけどね。
終わりを知っているということ
爆弾が爆発した後に、エレベーターみたいなやつでルイーズが1人宇宙船に乗り込む超重要シーン。
ちょっとだけ脱線するけど、色々エイリアンと話す中でルイーズが
「この子は誰なのよ」
ってセリフを言う。個人的には
この時のぞわぞわ感がやばかった。
この瞬間に(やっと)僕の頭の中で、色んなものが繋がった。今まで見ていた娘との思い出が経験したことだけじゃないこと、夫は数学者だ、的な内容でイアンとの娘だということ。あの感動をもう一回味わいたい。知ってるからもう無理だけど。
話は戻って、その宇宙船の中。フワフワ、モクモク、モヤモヤしている中で対峙する。1体しかいないから心配すると、「アボットは死の過程」と言う。
この「死の過程」というのが妙に気になった。単純に、「武器」と同様にエイリアンが伝える言葉のチョイスの問題なのか、それを受け取るルイーズが単語の意味を直訳的に言っただけなのか。
そういうのもあるのかもしれないけど、おそらくここは、エイリアンたちが「死ぬことを分かっている」ことを言うため。
時間は流れるものではない、という認識であれば、ルイーズが散々見てきた思い出のように、先のことが分かる。分かるから、あの例の文字を書くことができる。
だからアボット自身は自分がいつ死ぬかは分かっているし、コステロも分かっている。それでも、(本作の中では)何か行動したからといって未来が変わるわけでもないし、3000年後に助けてほしいから、自分の使命を全うする。
ハンナは引き継いでいるか
エイリアンから「武器」を授けられたルイーズ。ある種、進化したとも言えなくもないけど、実は娘のハンナもその時間認識を引き継いでいる模様。
回想の中で、ハンナがママとパパの絵を描いて見せてくれるシーンがある。その絵の中には、「カナリア」も一緒に描かれている。(僕は覚えていない。)
これを根拠に、ハンナも能力を持っているという説。
ただ、よく考えると、自分の人生の中でそんな経験しないよね、ハンナは。カナリアなんてルイーズやイアンが立ち会った時の経験。そうなると、自分以外の人の人生まで見えるようになるってことか?
というかカナリアとかヘプタポッドの見た目なんかは、単純に両親から話を聞いていたという可能性もあるし。
なんとも言えない。
けど、仮にハンナも未来を見ることができるとすると、ハンナ自身も自分がいつ、どうやって亡くなるのかも知れるということ。
これはなかなか切ない。切ないけど、生まれた時からそういう感覚だったとしたら、「そういうものだ」として意外と受け入れられるものなのかもしれない。
未来を見る
ルイーズはヘプタポッド語を完全に理解するのに、未来の自分の著書を読んだり、エイリアンとの戦争を防ぐために未来のシェン上将の電話番号をゲットしてどんな言葉で彼を説得したのかを聞いたりした。
なかなかの荒技である。
映画自体のループ構造というより、タイムパラドックスという意味でのループ。ここだけはちょっと、「んー、微妙」と思ってしまった。まぁ、他に解決の手段がなかったのかもしれない。
ちなみに、シェン上将からルイーズが聞いた言葉(彼の妻の言葉)は、監督はあえて字幕を付けないようにしたわけだけど、後に脚本のハイセラーはバラしている。英語で言うと、
“In war, there are no winners, only widows”
戦争には勝者はいない、ただ未亡人が残されるだけ。
みたいな感じ。
ということで
なんだか締まりが悪いけど、終わります。
宇宙繋がりでゼログラビティとか
エイミーアダムスとジェレミーレナーが共演しているアメリカンハッスルとか
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の灼熱の魂
なんかもおすすめです。
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