黒澤明の最後の時代劇であり、自らのライフワークと称した本作、乱。シェイクスピアのリア王をベースに書かれ、毛利元就の三本の矢の例えを取り入れ人間の本質的な部分に迫る。名作と言われるものは観る時代、描かれる時代に関わらずグッと心を突いてくる。心を動かしてくる。
日本のみならず海外でも評価をされて、アカデミー監督賞やゴールデングローブ外国語映画賞ノミネート、英国アカデミー外国語作品賞を受賞したりしている。
時間的には少し長めの162分だけど、心をえぐる内容に見た目の美しさ、時間は特に気にならない。
ネタバレはそこそこに参ります。
概要
基本情報
1985年 日本
監督:黒澤明
脚本:黒澤明、小國英雄、井手雅人
演出補佐:本多猪四郎
キャスト:
仲代達矢 / 一文字秀虎
寺尾聰 / 一文字太郎孝虎
根津甚八 / 一文字次郎正虎
隆大介 / 一文字三郎直虎
原田美枝子 / 楓の方
宮崎美子 / 末の方
野村武司(野村萬斎)/ 鶴丸
井川比佐志 / 鉄修理
ピーター / 狂阿弥
油井昌由樹 / 平山丹後
解説
シェイクスピアの『リア王』を毛利3兄弟の物語に大胆に翻案して描いた絢爛豪華な戦国絵巻。過酷な戦国時代を生き抜いてきた猛将、一文字秀虎。70歳を迎え、家督を3人の息子に譲る決心をする。長男太郎は家督と一の城を、次郎は二の城を、三郎は三の城をそれぞれ守り協力し合うように命じ、自分は三つの城の客人となって余生を過ごしたいと告げた。しかし、秀虎を待っていたのは息子たちの反逆と骨肉の争いだった。やがて、秀虎はショックのあまり発狂してしまう。
批評と受賞歴
Won 1 Oscar.Another 28 wins & 21 nominations.
リア王と三本の矢
解説にあるように、本作のベースはシェイクスピアのリア王にある。リア王の話を知らなくても全く問題はないけど一旦ここでリア王のあらすじを。
老王リアは退位にあたり、三人の娘に領土を分配する決意を固め、三人のうちでもっとも孝心のあついものに最大の恩恵を与えることにした。二人の姉は巧みな甘言で父王を喜ばせるが、末娘コーディーリアの真実率直な言葉にリアは激怒し、コーディーリアを勘当の身として二人の姉にすべての権力、財産を譲ってしまう。老王リアの悲劇はこのとき始まった。四大悲劇のうちの一つ。
という感じ。まさにだね。この悲劇を土台として、毛利元就の三本の矢の話が加えられる。加えられると言っても、三本の矢がへし折られてしまった場合にどうなるか、というさらに悲劇を増す方向で。
冒頭の秀虎が三本の矢の例えを息子三人に話す時のシーンは印象的ではあるけど、ごめんなさい、僕は三郎が必死に矢を折ろうとし、実際にへし折ったところで笑ってしまいました。
もー。なんで折っちゃうんだよー。
って秀虎は怒ってしまい、三郎と、それを庇う丹後の進言により2人は追放されてしまうのだけど、その前のシーンで父を気遣う三郎の行動なんかを見たら、1番まともなんだろうなぁと分かる作り。話を見失うことは絶対にない。
秀虎の落ちていく様
三郎のことはもういいや、とりあえず1の城にでも行って適当に敬われながら余生を過ごそうと思った秀虎。引退はするけど、
大殿は僕だからね?まだ僕だからね?
って子供みたいなところを見て正直僕は、あ、こいつクソだな。って思いました。すみません。ただ、なんとなく、社長を退いたけど、まだまだ権力は振りかざしたくて会長の座に戻り、気が向いたときにだけ口を挟んでくるような人を思い出してしまいまして。創業者であり、それまでトップに立って並々ならぬ責任と覚悟を持ってやってこられたことは重々承知しておりますし拾ってもらったことには大変感謝をしておりますが、退いてもなお下の者から慕われ常に周りに人がいるような人間性をお持ちであればそんなことにはならないのではないでしょうか。と思ってしまったんですね。
なので、1人の人間がトップから落ちていく様子とその原因が身内だという内容は確かに悲劇である。ではあるがしかし、僕個人の感情からしたら悲劇というよりはただの自業自得ではないですかと。そういう映画じゃないです、とか言われましてそう思ってしまうのは致し方ない。
と、少し話がそれてしまいましたが。悲劇を作る大筋は、これまで築き上げた秀虎の世界が見事に崩壊していく様。見た目的にもどんどんげっそりしていき、発狂するトリガーになる戦と、城からついにお目見えになった秀虎の姿には圧倒される。
頂点に立っていた秀虎。攻め込まれた城の頂点から降りて行く様はなんとも。凄まじい顔をしている。城の中では自分だけ死ねず、それ以降はもはや物質的には生きていても、何が現実かを判別できずに、生気がない状態になっていく。裏切ったのは自分の子供だし、その内2人は
父上父上、さすが父上、父上いなきゃ無理だよぉ
って言ってた2人だからね。さぞショックも大きかろう。
そんな夢うつつの状態(現実だけど)の中、狂阿弥が連れ添い、三郎と会ったり丹後と会ったり鶴丸と会ったりして、今までの自らの行いを顧みていくと。最後まで側に残っているのは?、と。
黒澤明は秀虎に自分自身を投影していると語っていたという話。初期段階の脚本ではもっと詳細に内容が書かれていたから、見る人が見れば裏切った人が誰だったのか分かるレベルだったとのこと。モデルが自分だという証拠に、明という字を「日」と「月」に分けてそれぞれ太陽と月にして秀虎の旗印に使っている。ってWikipediaに書いてあった。
その秀虎を演じた仲代達矢は当時50半ばくらい。それを70歳の発狂した秀虎の顔を表現するのに4時間のメイクをしているらしい。顔だけじゃないけど。秀虎が追い詰められていく様子は見た目の姿でもあからさまに変わって行くけど、話が進行するにつれて、雲行きもどんどん悪くなって行く。実際の天気での演出で。その辺もさりげなく見ていると面白かったりする。
盛り上げる戦
前半の戦シーンはかなり壮絶な演出がされていた。後半にも戦がもう1戦。どちらもかなり大掛かりで壮大に仕上がっている。どっちの戦なのか、もしくは両方合わせてなのかは知らないけど、1400人のエキストラと200頭の馬を起用するほど。海外でもそのスケールの大きさは結構評価されている。個人的には後半の戦はちょっとナゲーなって思ってしまったけど。でも、後ろの方の山でぞろぞろ馬に乗った人たちが集まってくるシーンはすごく良かった。
人とか馬という動くものが多いから混乱しやすそうに見えるけども、太郎次郎三郎はそれぞれ「黄」「赤」「青」と、お召しになっているものの色が原色気味。だから前半の戦も後半の戦も、すごく構図が分かりやすい。そんな色合いも含め、その辺の衣装のこだわりは評価されて、ワダ・エミさんがアカデミー衣装デザイン賞を受賞している。衣装製作には2年を費やされたとのこと。4Kでも出たのでぜひ。
戦で焼けた城は実際に建造され、実際に燃やされたとのこと。そうなると、一発勝負だよね、きっと。周りにいっぱいカメラ置いといて、色んな場所から色んな角度で色んなものを撮ってたと。すごいな。黒澤明の前の作品(影武者かどうかは知らない)で、城の中身がないと早く燃えちゃうなぁって黒澤明は思っていて、やり方を変えたらしい。
燃えたぎる楓の様
それから見所の1つとして、やはり楓は外せない。楓を突き動かした「恨み」。一族の怨念たるものが支えている。方向性はあれだけど、なんかこう、目標達成能力がすごく高い人だなぁと呑気な見方を僕はしていた。動機はなんであれ、執念であそこまでそれこそ一心不乱に一貫した言動。まさに狂気が見える。そんな演技を見せてくれてありがとうございました。
そうなってしまった諸悪の根源はやはり秀虎自身。時代が時代で、生き残るため、国を繁栄させるためとは言え、容赦なく人を殺めてきた秀虎。時代によって何が正義であり、どんな行いが人から、世間から賞賛されるかという考え方は変わっていくかもしれない。けど、根本的な人間としての良い悪いは変わるのか。
とは言っても、恨みから突き動かされて復讐に至るのはさらなる悲劇しか生まない。なんて綺麗ごと言っていていざ自分がその立場になったらどうなってしまうのか。と書いている内に永久ループにハマってしまった僕。僕が楓だったらどうか。僕が次郎だったらどうか。僕が秀虎だったらどうか。僕が狂阿弥だったらどうか。それぞれの視点で見てみるとまた違った良さ、よりも違った悲劇が見えてくる。
ということで
最初の方はすみません、ちょっと笑っちゃったりしてたけど、いつの間にか引き込まれ、悲劇について考えておりました。
破滅への道といえば、欲望という名の電車
とか、ブルージャスミン
なんかもおすすめです。
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