久々に、久々にこんなに心をかき乱される映画に出会いました。これから観ようと思っている方は、心が安定している状態でご覧いただくのがよろしいかと思います。
バイオレンス映画の巨匠、サムペキンパー監督作の中でも特に暴力描写の激しい作品と言われている本作。この作品以降、1970年代には被害者が加害者に対して過激な暴力で復讐する映画が多数製作され、「わらの犬症候群」と呼ばれるようにもなっているように、その影響力は凄まじい。
暴力性の強い描写が好きな人というよりは、もともと争いとか戦いが好きじゃない性格の人が鑑賞した方が、感じるものが大きいかもしれない。
ネタバレありつつ参りますのでご注意を。
概要
基本情報
1971年 アメリカ
監督:サム・ペキンパー(Sam Peckinpah)
原作:ゴードン・M・ウィリアムズ(Gordon M. Williams)
キャスト:
ダスティン・ホフマン(Dustin Hoffman)/ デイヴィッド・サムナー
スーザン・ジョージ(Susan George)/ エイミー・サムナー
ピーター・ヴォーン(Peter Vaughan)/ トム・ヘッデン
T・P・マッケンナ(T. P. McKenna)/ スコット少佐
デル・へニー(Del Henney)/ チャーリー・ヴェナー
ジム・ノートン(Jim Norton)/ クリス・カウジー
ドナルド・ウェブスター(Donald Webster)/ フィル
ケン・ハッチソン(Ken Hutchison)/ ノーマン・スカット
ピーター・アーン(Peter Arne)/ ジョン・ナイルズ
デヴィッド・ワーナー(David Warner)/ ヘンリー・ナイルズ
解説
イギリスの片田舎に越して来た学者夫婦。暴力を否定する夫は周囲の仕打ちにもひたすら耐え続けるが、ある夜、かくまった精神薄弱者に牙をむく村人相手に遂にその怒りを爆発させる……。鬼才サム・ペキンパーが人間の心の闇に眠る暴力を描いた心理サスペンス。
受賞歴
Nominated for 1 Oscar. Another 1 win & 1 nomination.
心がやられる
話が進めば進むほど、ドキドキして、そわそわして、心が揺れ動くわけだけど、思えば冒頭から僕の心をかき乱してくれた。
生で見せられるよりもこういう形での見せ方の方が興奮sそんな話は置いといて、でも実はこのビンビン演出にも理由があったんだ、と後から気づいた。こんなビンビンさせてミニスカ履いてたら、一般的な量以上の男性ホルモンを分泌している健常な男性諸君であれば性欲を亢進せざるを得ない。
本作わらの犬が公開当時に非難された部分としては、当然のごとくレイプシーンとバイオレンスシーンなわけだけど、個人的にはレイプシーンの方がきつかった。もともと浮気とか心を奪われる系が結構嫌なだぁと思う方だということもあるし、追撃するようにエイミーがチャーリーを一度受け入れてしまうところも。エイミーは最初こそ叫んでいたものの、呑気に狩りに行っているデイヴィッドを思い出したら元彼を受け入れてしまえるものなのかね。その前の夫婦感の関係悪化はあるにしても。おっぱいさらけ出したりもしていたし。
この時点でも嫌なのに続けて2人目という。ただ、ただね、「ふと気づくと銃を向けられていた」の演出はすごく好きだった。もう手助けするしかなくなっちゃうよね。
もちろん、やりたいからレイプしたでは許されないし、エイミーも抵抗できないから仕方ないと言えば仕方ないけども、受け入れた責任はあるような気がしてならない。そんなこともあって、終盤のデイヴィッド応戦シーンなんかはもう、
全員やってしまえ
とも思ってしまった。
と、ここでふと気づく。自分も競争とか争いは好きじゃないけど、実は持っている攻撃性の部分に。完全に
ペキンパー監督にしてやられている。
参りました。
復讐なのか
閉鎖的な田舎の村で巻き起こる外部者に対してのイジメ、それに対して最終的には復讐する、みたいに本作は捉えられることもあるようだけど、むしろ争いをおさめるために、自分の正義のために戦わなければならなかった、という方が強い。自分のテリトリーを荒らされ、暴力に対してそれを上回る暴力で対抗するしかなかった。
ただ、最終的にその攻撃性についてデイヴィッドがどう思っているのかが微妙なところ。ひと段落した時の、「ふう、やっと終わった」的な表情からは、素直に暴力を正当化しているような気もするし、これは暴力には入らないとも思っていそうな顔だし。それが納得できる暴力なのか。納得させて良いのか。状況に応じて自分の妻にも手を汚させて。
ラストシーンの名台詞、「帰り道がわからない」に対してのデイヴィッドの「僕もだ」のセリフは、ないと思っていた自分の中の暴力性に気づいた結果なのか。
ちなみにこの最後のセリフはダスティンホフマンのアドリブらしい。
さらにちなみに、派手に荒れた結果のデイヴィッドのメガネが映画ポスターに使われているけど、
戦艦ポチョムキンから引っ張ってきているという話。
そして、このわらの犬(というかサムペキンパー)はタランティーノにも影響を与え、フロムダスクティルドーンでは、タランティーノ演じたリッチーのメガネが壊れるところはわらの犬が元ネタという話がある。
老子とキラーエイプ仮説
老子
タイトル、わらの犬。原題は、Straw Dogs 。このStraw Dogsがどこから来ているかと言うと、中国の思想家、老子の老子道徳経に書かれている以下の部分。
天地不仁、以万物為芻狗
これを英訳すると、
Heaven and earth are not humane, and regard the people as straw dogs.
となる。(英訳にはいくつかあるようだけど。)
元の文章を返り読みすると、
天地は仁ならず、万物をもって芻狗と為す
となる。芻狗(すうく)って言うのは、「快気祈願や厄払いのために神前に供えるわら細工の犬のこと」。ようやく繋がった。芻狗 = わらの犬 = straw dogs 。気になるのはどういう意味か、だよね。
(僕の個人的な理解で)超要約すると、
思いやりなんか当てにするな
ということ。天地を「自然」ととっても良いし、普遍的な社会を表していると捉えてもいいと思う。その中では、仁という思いやりとか愛的なものなんかないと。だから己を信じろと。わらの犬のように、その時々によって特別扱いはせずに、人間も動物もそれ以外も、全てにおいて、ある意味平等であり、ある意味何にもしてくれないよと。だから、期待ばっかりしているなよと。
僕はそう理解した。つまり、祈って願っていれば弱いものを救済してくれるわけではなく、待っているだけでは何も始まらない。これだけでも、本作でペキンパー監督が描きたかったことが少し見える気もするけど、もう1つ、ペキンパー監督に影響を与えている考え方がある。
キラーエイプ仮説
老子の考えに絡めて考えるべきなのは、キラーエイプ理論。町山さんの2001年宇宙の旅の解説で触れられていたけど、サムペキンパー監督は、このキラーエイプ仮説に影響を受けて、ワイルドバンチの脚本を途中で変え、以後の作品でも、一貫してその影響が見られるとのこと。
キラーエイプ仮説というのは、1950年代に提唱されて、1961年にロバート・アードリー(Robert Ardrey)のアフリカ創世記(African Genesis: A Personal Investigation into the Animal Origins and Nature of Man)によって発展した理論。
内容をウィキペディアから引用すると、
キラーエイプ仮説によれば、人類の祖先が強い肉食性であり、それによる大きな攻撃性が他の霊長類とは異なっていたことが人類を他の霊長類とは異なった種として進化させた要因であった。さらにこの攻撃性は人類の本性として残っており、殺人本能となっている。
とのこと。これを知ったペキンパー監督は、人間というのは潜在的に人を殺す生物なんだと思って、その考え方を映画にも反映させた。だからこそ、本作後半のデイヴィッドの「攻撃性」は、元々の彼の性格を超えて、自然と現れたものだと。
ということで
なかなかえぐい映画だけど、国内海外問わず影響を受けた1本として言及されるわらの犬、一度は見るべし。
原作では、若干設定が違って夫婦の間に子供がいるらしい。
田舎の村社会のホラーをコメディにしているホットファズ、
少しだけ話に出したフロムダスクティルドーン
なんかもおすすめです。
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